画像:山王中学校正門の内側にある『ぎんの松』の石碑
奥村 銀松 氏(おくむら ぎんまつ)
[人物]極めて円満高潔にして私心名誉心無く、上下の差別なく極めて公平で、山王学区の3つの学区(広見露橋八熊)からの信望を集め山王学区をまとめた。出身:西日置町八丁目(現:西日置2丁目)没年:昭和26年3月(1951年)
[経歴・功績]*昭和22年*広見小学校の校舎にて山王中学校の創立開校に努力、山王中学校建設委員会顧問を務める。*昭和24年*初代PTA会長に就任(現在の場所に山王中学校移転)校舎増築のため第二次校舎建築に努力。火事で校舎が消失した際、五千坪余りの焼け跡、校庭を全保護者に呼びかけて整地した。職業指導を中心とした新教育実施のために尽力。27箇所の事業所の協力の下、校外教室代表責任者として校外教室を実施した。進学指導、就職指導に保護者と協力して子どもたちを支援した。*昭和25年*PTA会長に再任。在校生だけでなく卒業生の就職を支援。名古屋市教育委員会指定「本校職業指導について」の研究発表会に対する協力。部活動への協力・支援を惜しまず、当時、野球部とバレーボール部は全市最高の成績を収めた。地域別の保護者会を開設、保護者の声を聞き、活発なPTA活動を実践した。校舎増築のため第三次校舎建築に向けて努力した。
※名古屋市立山王中学校(現在の住所:名古屋市中川区山王三丁目7番3号)
※山王中学校学区(広見小学校、露橋小学校、八熊小学校)
※広見小学校(広住町)から昭和24年、当時「童子町」と称していた現校地において新校舎が成立。
※記述の中にある(山王中学)開校当時の火事の年月日は不明(後年、山王中学校は昭和44年5月15日に木造校舎が消失したことがあります)